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人間の「死」について思ったこと

8月になると毎年やってくる原爆の日、JAL機墜落事故、終戦記念日…それにお墓に先祖の魂を迎えにいく迎え盆、送り盆。

今年はJAL機墜落から20年ということでいろいろなメディアで取り上げられていました。
昨日も送り出した我が子を事故で失ったという方の特集というかが放映されていました。
見ていて、とてもせつないというか、悲しい、かわいそうだなぁと思いました。

でも、その反面、事故など突発的なことで亡くなった方々は、国だ、航空会社だ、と責任の追及というか責める場所を持っていることにとてもうらやましいとさえ感じてしまいました。

みーのおじさんは去年の9月3日の朝、いきなり倒れてそのまま亡くなりました。
その1ヶ月前に友達とそのおじさんのところへ遊びに行ってきたばかりでした。そのときはいつもどおりの元気さでまったく具合が悪いそぶりなど一切なく、来年もまた来るからね!うちにも遊びにきてね!といって別れました。
そのあと、何回かTELで話したりしてはいたのですが、本当にいきなり倒れてそのまま帰らぬ人になりました。
今でも、母から早朝携帯に
「おじさんが死んだって」
という連絡が来たときの声は耳から離れません。なぜ、どうして、と頭が真っ白になり、実際に顔を見るまでは信じられませんでした。
まさか、おじさんの家に行くのがお葬式だなんて考えても見ませんでした。
おじさんはみーのことを大変かわいがってくれてみーも大好きでした。
泣きながらお通夜に行ったときおばさんが、笑顔で
「わざわざありがとね。でも、お父さんの最後をめそめそしないでしっかりと笑顔で送ってあげて。しめったことが嫌いなひとだから。」
と、言われたとき、そのとおりだと思いました。
でも、そのおばさんが、お葬式のお焼香の時、
「お父さん…。。。」
と、その場で泣き崩れた時、いままで張り詰めていたものが途切れてしまったように涙が止まらなくなりました。
みーの花嫁姿を絶対に見せたかったのに。
今考えるだけでも目頭が熱くなります。
このお盆に一周忌を迎えます。遺影の笑っている写真がとても元気そうで、未だに亡くなったということが信じられません。いきなりひょっこり顔を出すんじゃないかと思ってしまいます。

確かに、つい最近ではJRの事故でたくさんの犠牲者が出ています。
その方の遺族の方々を責めるわけではありませんが、JRに怒りをぶつけ、生きる気力にされている方もいらっしゃるかも知れません。みーにその方達がどんなにつらい思いをしているのかということはもちろんわかりません。
しかし、いきなり倒れて亡くなったり、寝たまま息を引き取って朝起こしたらすでに冷たくなっていたという場合、どのように立ち直り、どのように生きていくのか、どこに憤りをぶつけられるのかと考えたとき、一言では片付けられない思いが込み上げてきました。

人間というのは、いつか必ず亡くなってしまうものです。確かに自動車事故などはしょっちゅうTVでも機械的にアナウンサーが放送していますが、遺族達にとってはそんな簡単に済むものではないのです。

大きな事故だけ取り上げられて後世に残っていくのは大切なことです。
しかしその影では、毎日どこかで、事故、病気、その他災害などでさまざまな方の命の灯火が消え、やり場のない悲しみ、憤りを抱えている方々がいるということを考えさせられるお盆になりそうです。
今まではただ、夏休みという感じでいかに遊ぶかということを考えていたのですが…。

この記事はあくまでみーの個人の意見としてなので、大きな事故でご家族を失った方々を責めるというか、その人たちは一緒に苦しみを分かり合えるからいいよねと言ったつもりで書いたわけではありません。
もし、読まれた方で不快な思いをされた方がいらっしゃるのでしたらお詫び申し上げます。
申し訳ございませんでした。

今日はちょっとまじめに書いてしまいました。

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